2017/03/12

路地裏の自然


細く曲がりくねった向島の路地に一歩足を踏み入れると、玄関や窓辺に所狭しと並べられた鉢植えの植物たちの姿が目に飛び込んでくる。いかにも鉢植えに似合いそうな花を咲かせる一年草だけではなく、紫陽花や木槿といった、成長するとかなり大きくなる花木が、ボロボロになったトロ箱に植えられている。「こんなところに!」と、驚かされることも多い。「ベランダ園芸」に対して「路地裏園芸」と呼んだ都市研究者がいたが、確かに名前をつけたくなるほど際立った存在感だ。

人の気配のする家ーそれは夕飯の焼き魚のにおいや、聞こえてくる野球放送の音だったりするのだがーの前では、一見、植物たちは行儀良く鉢の中におさまっている。しかし、主人を失った家の前にある植物たちは、次第に鉢の中ではおさまりがつかなくなってゆく。植物の「穏やかさ」「癒し」といったイメージとは裏腹に、南国の深い森に生きる植物たちのような、たけだけしい本性をあらわにしてゆく。窓に壁に柱にと、幾重にも取りついて(憑いて)古びた家を絞め殺す…そんな風に見えてくるから恐ろしい。

以前から、こうした植物たちの姿を眺めながら、都市としての機能を失ってしまったトウキョウの姿を想像することがあった。大災害でライフラインが断たれ、多くの人がこの地を離れてしまうといった極端な設定でも、あるいは、人が集まらなくなった商店街のように、トウキョウ全体がゆっくりと枯死して行くといった緩やかな設定でも良い。否応なくそこに暮らす人間たちは、野放途に広がった植物の陰でひっそり生きている…よく、そうしたイメージを思い浮かべていた。しかし、そんな他愛のない空想は、2017年の今日、すでにフクシマとして現実化してしまっている。

東日本大震災から6年が過ぎた。その後も、日本各地で予測できない自然災害が次々と起こり続けていて、その度に、「自然」を前にした人間の小ささ、弱さを自覚させられる。おそらくは、路地裏に置かれた植物たちは、都市にぱっくりと口を開けた亀裂なのだ。その亀裂は、人間が制御することのできない「自然」へとつながっている。路地裏にひっそりとあるこうした「自然」が、都市を絞め殺す恐ろしい姿となってあらわれたのちに、ナウシカに描かれた腐海のように、汚れてしまったこの大地を、ゆっくりと浄化してくれることを願ってやまない。

人気の投稿